M21 | 今までのあゆみ Mandala History 特定非営利法人M21ネットワーク 世界最大のパッチワーク・マンダラ 曼荼羅 曼陀羅 Mandala

Mandala History

今までのあゆみ

1994

マンダラ制作決定 カトマンズで発起会

チベット、ネパール、ブータンなどから60人を超えるアーティスト、僧侶が集まり発起会が行われ、日本から片桐靖忠、北村正樹、ネパールからスルジェ・タカリが参加。

1999

カトマンズにて原画制作開始

ブータンの僧侶、ディレイ・ノルブとその弟子たちが下絵を描き始める。

2000

原画完成

コンピューターによる拡大作業、セイコーアイ・インフォテックによる原寸出力。70m×50mのパッチワークマンダラを作るため、たて×よこ各9等分し、成瀬信子の提案により全体を81パーツに分ける。さらに1/81をたて×よこ6等分し36の最小単位をつくる。

2001

世界中にマンダラ制作参加者を募る

日本ボーグ社・パッチワーク通信社の協力で世界中に制作者を募る。

試作第1号完成

秋山巳代子、永井みどりのグループが完成させる。

パッチワークの先駆者、野原チャックが協力

全国のキルターに呼びかける。
日本に於ける代表的キルト作家が中心になって制作し、81パーツが完成
YKK製のファスナーをセオ産業資材が縫いつける。

2002

横浜アリーナにてお披露目

81パーツが初めてつなぎ合わされる。ネパールからスルジェ・タカリその他関係者が来日し来場者からの文房具が贈呈された日本を代表する和太鼓奏者の鬼太鼓、上々颱風が友情出演。世界最大のマンダラの前で名演奏

全国紙やテレビで紹介される 広島市民球場で展示

重要無形文化財総合認定保持者、大倉正之助による太鼓や広島市民演奏家による演奏をテレビ中継

2003

インド・ニューデリー

ムルリ・マノハール・ジョーシ文部大臣、フェルナンデス国防大臣、アショーク・シンガルVHP総裁、日本大使、ブータン大使等が列席 40人ものチベット僧による入魂、お清めの儀式が行われる。日本の喜納昌吉&チャンプルーズの演奏。

2004

ハワイ・ホノルルフェスティバル

コンベンションセンターにて展示。ハワイ州知事リンダ・リングル、ホノルル市長、ジェレミー・ハリス等がメッセージを寄せる。

モンゴル・ウランバートル

郊外の丘に広げる。エンフバヤル首相、エンフボルト市長列席の下108人の僧侶による入魂式、ミニナーダム、国立オーケストラによる演奏など草原に数万の人々が参加。盛大な式典が行われる。

2005

名古屋ドーム・名古屋万博共催 世界キルトカーニバル2005

愛知万博が開催され、国際キルト展が共催された。その会場に、世界最大のパッチワークマンダラが展示された。世界から集められたキルトと日本のキルト作家の大規模な国際展示会だ。

2006

モンゴル・ウランバートル郊外 (大統領来場)

ウランバートル郊外の丘、2年前に拡げたマンダラを再び展示することになる。モンゴル建国800周年の公式イベントとして行われた展覧行事でエンフバヤル大統領、エンフボルト首相、ボロルマーウランバートル市議会長があいさつ、エム21の片桐理事長がお礼のことばを述べた。

2007

東京・読売ランド

みのもんたさんの司会で人気の番組の中で特集されよみうりランドで拡げられた。 天候に恵まれ、集まったボランティアの方々も手慣れたもので1時間半でマンダラが出現した。

2012

ネパール・カトマンズ

文部観光大臣のあいさつからはじまり、高名な大僧侶が訓示を垂れ、エム21ネットワークとして代表の片桐が返礼をする。マンダラに五体倒置する人々を前に日本から行ったサポーターも感動していた。 二日間で5万人が動員されたと新聞は伝えた。

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